· 

山川穂高母校城北中を訪問

山川穂高選手が母校城北中を訪問

 

昨日、西武ライオンズの主砲山川穂高選手が首里石嶺にある母校、城北中学校を訪問した。私も講話を拝聴した。山川選手の自己紹介のあと巨人の原辰徳監督と知念覚市長が入場し、司会の進行で3人によるお話があった。

 

穂高選手は31歳、16年振りの母校訪問だった。小学校4年から野球を初め、6年ときにプロになりたいと思ったがなれるとは思わなかった。お母さんの奨めで書道を習い6年生で8段、独習でピアノを弾く。母子家庭の一人っ子、お母さんは久米島の出身。

 

中学時代は勉強嫌いだった。先生によく叱られた。校長室に呼ばれることも多々あった。クラブはバレーボール部に属し、野球は硬式の大矢ベースボールクラブに入った。中部商業3年のとき、夏季大会の決勝戦で負け、野球を止めようかと思った。その時、岩手県にある富士大学の監督から声をかけられ入学した。マイナス20℃の寒さに震えた。

 

生徒から山川選手への質問。壁にぶつかることがありますか。「いつも壁にぶつかっている。打てない夜はねむれない。でも、壁を乗り超えて進化があると思って耐えている」(山川)。夢を持つとなんですか。「成りたいと思う気持ちを持つこと。それが成れるという気持ちに変わる。そして成るという決意に変わる」(原)

 

2人に言葉が胸に響いた。私もいつも壁にぶつかっている。できないと諦めようかと迷う。でも、壁を超えないと進化はない。また、90歳なったらこうしたいという夢を持っている。その気持ちを持ち続けよう。